信じる、ということ | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

信じる、ということ

もう、ふた月も前のことだった。

私は遠方へ面接に行き、

そこでの面談は成功したかに見えた。

先方の事情で、私の派遣が伸び伸びになっていた。

何度か担当の営業に、現状の確認をすると、

ある期日までに状況は確定するとの話だった。


私は辛抱強く、それを待った。


どう考えても、私はそれを待つ以外になかった。


仕事、いや、職種の条件が良かったし、先方との面接も上手くいったからだ。


期日を過ぎても、担当者からの連絡はなかった。

その間に、

私は担当者から要請があった人材を同級生の中から探し出し、

何人か紹介した。


私はいったいなんなのか。


そんな疑念も湧くが、私は担当者を信じたかった。


そして、


例の記述が過ぎていった。


私はぞんざいに扱われているのだろうか?

疑念が疑念でなく、

現実のものとなっていくことを、

私は恐れた。



もう、

待ってはいられなかった。


私は担当者にことの進展をメールで問いただす。

それに加え、またもや同級生一人を担当者へ紹介した。


返信は、

予想通りだった。


返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

案件は全くの進展もなく、ひとまずここでリセットになります。


私はひたすら信じ続け、

待ち続けた。


それが、


安易な扱いを受けていたことを、

今になって知る。



人を信じること。



それは、

とても尊いが、

裏切られたとき、


ダメージも大きい。


今更実感することではなかった。



わたしはそれで、

すべてを失っている。



私はもう、


人を信じることはないだろう。






今後、





一切。