日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -5ページ目

人をいじめる、ということ〜ブログニュースを読んで

いじめについて以前から考えていた。

そういったテーマの短編も以前に書いたことがある。

それくらい、関心のあることなのだが、

以前から疑問に思っていたことは、

なぜ他人をいじめたくなるのか、ということだった。

当然、他人をいじめることによって、

ある種の快楽的なものが芽生えると容易に想像できるが、

それは、感情移入能力と真逆の方向に作用する。

下記記事でも言及しているが、

人は本来、苦しんでいる人を見ると、

自身も苦しみを共感し、心苦しくなる生き物の筈だ。

そこが、動物と人間を分つ境界線とも考えられる。

下記リンクのいじめっ子脳の研究成果という記事は、

想像通りのないようではあったが、

この研究結果で明らかになったことは、

人をいじめるという行為は、

その人の人間性とか、

道徳心とか、

家庭の教育とか、

学校での教育環境とかとは別で、

脳の問題だと言っていることだ。

簡単な話、脳の機能障害で病気だと言っている。

はたして、

脳に異常をきたす原因とは?

後天的なものか?

先天的なものか?

母親が口にする様々な化学物質による影響か?

それとも?







いじめっ子の脳は他人の苦しみを見ると喜び感じる回路あり説
『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)でおなじみの脳科学者・澤口俊之さんが“いじめ”問題について脳..........≪続きを読む≫

信じる、ということ

もう、ふた月も前のことだった。

私は遠方へ面接に行き、

そこでの面談は成功したかに見えた。

先方の事情で、私の派遣が伸び伸びになっていた。

何度か担当の営業に、現状の確認をすると、

ある期日までに状況は確定するとの話だった。


私は辛抱強く、それを待った。


どう考えても、私はそれを待つ以外になかった。


仕事、いや、職種の条件が良かったし、先方との面接も上手くいったからだ。


期日を過ぎても、担当者からの連絡はなかった。

その間に、

私は担当者から要請があった人材を同級生の中から探し出し、

何人か紹介した。


私はいったいなんなのか。


そんな疑念も湧くが、私は担当者を信じたかった。


そして、


例の記述が過ぎていった。


私はぞんざいに扱われているのだろうか?

疑念が疑念でなく、

現実のものとなっていくことを、

私は恐れた。



もう、

待ってはいられなかった。


私は担当者にことの進展をメールで問いただす。

それに加え、またもや同級生一人を担当者へ紹介した。


返信は、

予想通りだった。


返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

案件は全くの進展もなく、ひとまずここでリセットになります。


私はひたすら信じ続け、

待ち続けた。


それが、


安易な扱いを受けていたことを、

今になって知る。



人を信じること。



それは、

とても尊いが、

裏切られたとき、


ダメージも大きい。


今更実感することではなかった。



わたしはそれで、

すべてを失っている。



私はもう、


人を信じることはないだろう。






今後、





一切。

前向きに

生きることは

選択の積み重ね


考えても

考えなくても

無意識で

選択しているんだね


だから


前向きな姿勢でいこうじゃないか

後ろ向きな姿勢でいると

知らず知らずのうちに

おかしなことになって行く

いつもいらだっていると

いらだつようなことばかりを選び取ってしまう



どのみち

何かを選んで進んで行くのだったら

より良い選択をしたいもの

そう

こころをクリアに

軽やかに

優しさで満たして

さすれば

軽やかで

やさしい選択が出来るはずだ

きっと

そう

きっとね